初音ミクと定言命法

この前、Mikunopolis の感想を書きましたが、良かった点をもうひとつ追加します。

ミク・ファンは MMD を通じて彼女がスポーツ万能であることを知っています。野球はイチロークラス、スキーはプロ並み、拳法もできれば空爆にも耐性がある。当然ですよね。マンガなんだから。猫のトムが何発大砲を喰らっても、崖から落ちても死なないのと同じ事です。

しかしコンサートでミクが激しい振り付けの曲を二曲も三曲も連続して歌うのを見て、はたしてファンは喜ぶでしょうか。ミクに体力的限界がないとしても、だからといって彼女が「酷使」されるのを見て平気でいられるでしょうか。

実は Mikunopolis の感想を書いた後、あるファンの方から、セガのコンサート担当者が発信したツイートのことを教えていただきました。(こちらです。)

その中に「WEDHの最後、ミクさんちょっと疲れてきますw」というコメントがありました。WEDH というのは「ワールズエンド・ダンスホール」という曲のことです。で、もうちょっと下に出ているコメントを見ると、「『WEDHの最後、ミクさんちょっと疲れてきます』って、疲れたような演技になってるってことですか?」という誰かの質問に対して「ここだけの話ですが、激しすぎて骨の人がリアルで疲れてきてますw」と担当者が答えています。骨の人というのは映像を作るために特殊なスーツを着て踊る人のことでしょう。

WEDH は振付がとても激しい曲です。わたしもボールルームダンスのアマチュア選手権に出ていたからわかりますが、一曲を踊り切るというのは生半可なことじゃありません。あの振付では骨の人がお疲れになるのは当然だと思います。もちろん何度も言うようにミクはマンガだから、いくら踊ったって疲れを知らない。しかしわたしはミクをそんなふうにめちゃくちゃに踊らせることに抵抗を感じますね。どうもわたしはミクを単なるキャラクターというより、人格を持つなにものかとして捉えているらしい。いや、わたしだけじゃないと思う。ファンはみんなそう感じているんじゃないかな。ちょっと極端な言い方をするけれど、ミクの人格にはカントの定言命法「汝自身の人格にある人間性、およびあらゆる他者の人格にある人間性を、つねに同時に目的として使用し、けっして単に手段として使用しないように行為せよ。」(石川文康氏の「カント入門」ちくま書房から)が適用されるべきではないか。つまり単に観客を喜ばす手段として用いてはならないのではないか。

ミクの扱い方という点で Mikunopolis はよく出来ていたと思います。WEDH の前はリン、ラン、ルカがうたっていたから、ミクはその間に十分休息が取れただろうし、WEDH の後はたしか From Y to Y というゆるやかな振り付けの曲がきたはずです。こういう注意深さ、「気遣い」が非常に好かったと思います。

Carlito! と二次利用の自由

著作権を気にせず自由に二次利用ができるということは文化を活性化させます。著作権者は自由に二次利用されるなどもってほかだ、利用するなら金を払えというのですが、本当は文化が活性化した分、彼らにも経済的な儲けが発生するはずなのです。

たとえば MMD (ヴォーカロイドのマンガを簡単につくるソフトと考えてください。)でつくられた With pleasant companions『Go!Go!Carlito!』という作品があります。最近のヴォーカロイド・ブームのせいか、今年の四月十五日に YouTube にアップロードされたのに、もう157,095回視聴されています。(もともとはニコニコ動画に出ていたもの。)動画を下に貼り付けておきますので御覧ください。耳ざわりな男声と、つやのある女声の対比、一回聞くと忘れられないリフレーン、わたしはすぐに気に入りました。



この MMD 作品には元ネタがあります。それが次のビデオ。これもとても面白いビデオなので御覧ください。



さて、注意して欲しいのですが、元ネタのビデオが YouTube に掲載されたのは昨年2010年十一月二十三日です。しかし視聴回数は83,655回。MMD でつくられたパロディの約半分の回数しか見られていません。これが意味することは、Carlito はなかなかいい曲だけれど、ヴォーカロイドに比べれば、知っている人も人気もさほどない、ということです。

しかしヴォーカロイド・ビデオに取りあげられることによって、Carlito はぐっと認知されるようになりました。元ネタのビデオのトップ・コメントにはこうあります。「霊夢主演の MMD を見てここに来た人は thumbs up!」そして thumbs up した人は490名もいます。(ちなみに霊夢とはパロディ版で赤い服を着ている女の人の名前です。)

要するにパロディ版を見て、これは面白いと元ネタに興味を惹かれた人が大勢いるということです。ついでに元ネタの視聴回数グラフを見ると次のようになっています。

carlito.jpg

最初は非常にゆるやかな伸びを示していた線が、Cという記号のあたりから急に上昇していますね。Cというのは下に書いてあるように、パロディ版が出た時期を表しています。パロディ版が出てから元ネタのビデオを見る人がぐんと増えた、ということです。関心をもつ人が増えれば、mp3 や CD を購入する人も増えるはずです。

Numa Numa Dance で有名になった O-Zone の Dragostea din Tei という曲もそうでした。Dragostea din Tei なんてほとんど誰も知らなかった。しかしあの太めの男の子が椅子の上で踊るビデオが大ヒットしたおかげで、世界中で売上を伸ばしたはずです。

自由な二次利用は、隠れた名作にスポットをあてるすぐれた仕組みになると思うし、多くの人の想像力・創造力を刺激し、ネットならではの文化を築くために不可欠な要素だと考えます。

Mikunopolis

LA で行われた Mikunopolis コンサートを見たので印象が薄れる前に感想を書いておきます。

最初に物足りなかった点をいくつか。
○ ニコニコ動画のカメラワークがあまりよくなかった。会場のせいもあるのかもしれないけれど、何が写したいのかよくわからないような画像はいらない。
○ 演奏者の表情が硬かった。昨年(2010年)の感謝祭のビデオではアフロヘアを振り乱したり、舞台で飛び跳ねたり、ベースやドラムの人が「この曲いいよね」ってな感じでニコッと笑ったり、表情が豊かで、それがまた雰囲気を盛り上げていました。そういう場面が今回もあったのかもしれないけれど、カメラには映っていなかった。
○ コンサートが短すぎた。昨年のコンサートにおいては From Y to Y がコンサート最終盤を告げる曲として使われました。(「そろそろお別れです。ありがとう。」とミクが言っている。)それを知っているファンとしては、Mikunopolis 開始一時間後にこの曲を聞かされると、いくらなんでも終わりが早過ぎると感じてしまいます。
○ 衣装の早変わりや、特殊効果(?)は、使い方が難しいですね。あれはやりすぎるとかえって感興をそぐ。
○ ミクが英語で歌詞を歌ったところもありましたが、正直、聞き取りにくかった。あれは英語版のミクの声じゃないですよね?
○ あの曲も入れて欲しかった、この曲も…と言い出すと切りがないのですが、アメリカでは Last Night Good Night が非常に人気があるのです。あれは入れてもよかったんじゃないか。ちなみに「初音ミクの消失」も、あのドラマチックな振付がアメリカでは人気があります。あの曲を入れたのは大正解。

よかったところは
○ そのほか全部。
という感じです。2010年感謝祭のコンサートの縮小版といった感じはするけれど、あれを生でみたいと思っていた人も多いから、今回の構成は非常に良かったと思います。新しい曲も全体の雰囲気の中によく溶け込んでいたし、今回付け加わったバイオリンの音色もきれいだった。特に一番最後に歌った「ハジメテノオト」は、昨年のアカペラのバージョンよりずっと「優しさ」を感じさせる、見事なものにしあがっていました。

2011年ミクパについて

ほぼ二ヶ月前の話題ですが、今年のヴォーカロイドのコンサートについて書きます。

大方の評価と同じように、わたしも今回のコンサートには魅力を感じませんでした。何よりも失望したのは透明スクリーンでのパフォーマンスではなかったこと。世界中の人が透明スクリーン上でのヴォーカロイドの存在感、実在感に圧倒されたのに、なぜそれをいまさら通常のスクリーンに戻してしまうのでしょう。YouTube に流れた前回のコンサートのクリップを見て、みんなが「これってホログラムなの?ロボットなの?だれかが仮装しているの?」「これが未来だ」「僕は今泣いている。ビデオのすごさに」と驚嘆しました。あれは日本が売りだそうとしている「クール・ジャパン」の象徴的技術だったのです。日本人の(セガさんらの)創造性、努力がぎっしり詰まった技術でした。

また透明スクリーンが与えるホログラム的なイメージはファンの願望に応えるものでした。コンサート会場におけるヴォーカロイドは、決して「歌をうたうソフト」でも二次元キャラクターでもないのです。ファンは彼らを、血と肉を備えた、われわれと同じ人間と見なしているのです。ヴォーカロイドはもともとは音声を出すデジタル信号の塊なのでしょうが、ファンはそれを肉付けし、可能なかぎり人間に近づけようとしてきました。前回のコンサートがまさに「マジカル」であったのは、「人間に近づけてあげたい」と思っていた対象が、本当に実在するかのように舞台に現れたことです。そして彼らとコミュニケーションができるかのような幻想を与えてくれました。

巡音ルカの Just Be Friends を見てください。彼女のパフォーマンスは観客とインターアクトとしているように見えます。そして初音ミクがバンドのメンバーを紹介する部分。二次元半の存在が三次元に語りかけ、三次元が二次元半に呼応する。本来ありえないコミュニケーションが成立するというところにファンは感激したのではないでしょうか。

今回のコンサートにはそうしたコミュニケーションが欠落していたと思います。

ヴォーカロイドも原発事故の影響を受けている

YouTube で初音ミクの動画を見ると、以前は必ず「日本に行きたい」「日本語がしゃべれるようになりたい」というコメントがついていたものですが、原発事故以降はそれがパタリと消えてしまいました。World is Mine の動画のトップ・コメントにはこうあります。「日本がクールなものをつくっているあいだ、アメリカはみんなを支配するためにせっせと爆弾とかをつくっている」しかし今や、日本は高濃度の放射能汚染水を海洋に垂れ流しする無法者であり、情報を隠蔽するどす黒い国家になりさがってしまいました。日本のサブカルチャーが世界的な注目を浴びつつあったのに、もう完全に台無しですね。ファンとして本当に胸が痛い。
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