電王戦とデジタルの脅威

つい最近、将棋のコンピュータ・ソフトがプロ棋士と対戦し、圧倒的な力を見せつけたことはまだ覚えていらっしゃるでしょう。そう、電王戦のことです。昨年のコンピュータ将棋選手権で一位から五位までを獲得したソフトが、現役のプロ棋士を相手に戦い、三勝をあげました。とくに大将戦となったGPSとA級棋士との対戦は、一見してコンピュータが人間を圧倒したように見えるので、われわれに強い印象を与えました。

ぼくが興味を抱いたのは、強いコンピュータに対して反感のようなものが見られたことです。今まで将棋の権威はプロ棋士の集団、日本将棋連盟であったわけですが、その権威がコンピュータに移ってしまった。そのことに対する反感がいろいろな形で噴出しました。

しかしこのことは将棋だけには限らない。デジタル革命というのは、総じて既得権益を転覆させるものなのです。

このブログのタイトル「電子書籍、ヴォーカロイド、そしてコンピュータ将棋」は、そうしたデジタル革命の担い手たちを集めたものです。

ヴォーカロイドに対する反感も、生身の歌手がデジタル信号に取って代わることへの反感です。最近は少なくとも日本においてはヴォーカロイドは市民権を得てきたけれど、外国ではいまだに根強い反感があります。誰だったか忘れたけれど、ヴォーカロイドのコンサートになんで一万人も(?)ファンがつめかけるんだよ、と日本の歌手もぼやいていたらしいですね。ヴォーカロイドの出現により、歌手だけでなく、歌詞や曲の作り手も変化しました。既存の流行歌の作り方が大きく変わり、もちろんビジネスの様相も一変したわけです。

電子書籍の革命性は、日本人にはまだよく分からないでしょうね。この分野の変化は異様に遅れている、おそらく世界の先端から十年くらい遅れているから。しかし電子書籍も既存のビジネスの担い手を新たな担い手に移行させます。なるほどいままでは出版社が本の出す出さないと決めていたかも知れない。そして「文化の質を維持してきた」などと幻想にひたることができたかも知れない。しかしこれからは出版社以外の組織なり個人がそれを決め、しかも出版社以上に魅力的な本を出すかも知れないのです。

たとえば翻訳の分野で、既存の出版社から出ていない作家を個人が掘り起こし、それが人気を博するということがありうる。そうした場合、出版社はいったい何をしているんだ、と言われることになるでしょう。それがデジタルの脅威なのです。そしてアメリカやカナダ、ドイツでは、従来の出版社の権威は実際に相当低下しているのです。

コンピュータ・ソフトがプロ棋士を負かすという事件は、われわれの生活を変革しつつあるデジタル文化の余波に過ぎないのですが、今のマスコミはどうも巨視的な視点でものごとを報道することが苦手なようだ。将棋という世界に局限されたニュースとして取り上げる傾きがあったから。

いや、案外マスコミはデジタル文化の襲来という趨勢を理解していて、わざとそれを書かないでいるのかも知れません。なにしろ新聞・テレビはインターネットによってその権威と利権をずいぶん削り取られたし、これからさらに削り取られていくのですから。

タダではすまない脱原発

日本人は脱原発とTTPは関係ないと思っているらしいけどとんでもない。TTPに入れば、日本が脱原発を決めた瞬間、とんでもない金をアメリカの企業にふんだくられる「可能性」がある。

TTPにはISD条項というものがある。これはたとえば日本で活動しているアメリカの企業が、日本の法律などのせいで損益を被った場合、日本政府を訴えることができるという協定です。Corporate Europe Observatory and the Trasnational Institute が出したレポート Profiting From Injustice (こちらを参照)を見れば分るけど、この手の裁判は近年圧倒的に増え、その補償金額も巨額化している。欧米の法律事務所はこの手の裁判を企業にどんどん勧めている。とりわけ危機的な状況にある国家、最近の例ではギリシアやリビアなどに対して。その結果、国民の健康や環境保護のための法律が成立させられない、あるいは無力化してしまう、という状況が発生している。

この裁判の中で日本が知っておくべきは、スウエーデンの Vattenfall という電力会社と、脱原発を決定したドイツとのあいだの裁判だ。簡単に言うと、ドイツとスウエーデンのあいだには一種のISD条項が結ばれています。そして Vattenfall はスウエーデンの会社であるけれど、多国籍企業でドイツに原発を二基持っています。さて、ご存じのようにドイツはフクシマの大惨事を受けて、国家として脱原発を決めました。その決定がくだされた直後の2012年の五月、Vattenfall はドイツを訴え、自分逹の事業に対する損害として37億ユーロを請求したのです。

いいですか、日本の皆さん、TTPに加入したら、かりに国家として脱原発を決定したとしても、その代償としてとんでもない金を払わせられる可能性があるのですよ。日本の原発は、アメリカのメーカーからどんな技術的な、あるいは物的な援助を受けていますか。それはどれくらいの額になりますか。そのへんの確実な情報をぼくはずっと調べているのだけれど、ジャーナリストでそれをきちんと調べている人はいますか。日本の原発に何らかの技術的・物的供与をしているアメリカの会社は、もうすでにこうした訴訟を視野に入れ、最大限の補償が取れるように画策しているはずです。そしてその保証金はみんな税金で支払われるのだ。司法は今や儲かるビジネスなのです。

(またTTPに加入して日本の電力市場が外国にも開放され、アメリカの電力会社が日本に乗込んでくるとする。そして日本が脱原発を決定できなかったとしたらどんな事態が想定されるのか。アメリカの会社が日本に原発を建て、そこが事故を起したとしたら? そこらへんのことを政治家は議論していますか。アメリカの企業はとっくにそこまで見越して、自分逹に有利なようにTPPの条文を作らせていると思いますよ。アメリカから日本を見ると、日本人の子供っぽさが非常によく分る。歯がみしたいくらいにね。)

楽天の失敗に思う

いったい楽天は Kobo から何を学んだのだろう?

Kobo Touch のさんざんな評判は当たり前です。楽天は電子出版のイロハを無視したのだから。すなわち、彼らは顧客を囲い込もうとクローズドなシステムを作ろうとした。

Kobo Touch を買うのに楽天IDが必要だったり、パソコンに接続しないとアクティベートできなかったかり、こんなことをやったらいけないということを Kobo の営業の人間は注意したはずです。

電子出版におけるマーケティングは、普通のマーケティングといささか様相を異にする。クローズドなシステムにすればするほど顧客は逃げて行く。オープンなシステムにすればするほど、つまり顧客の流動性を大きくすればするほど新しい顧客が集まってくる。

わたしはてっきり楽天は Kobo からマーケティングのノウハウを学んだものと思っていたのだけれど、早とちりだったようだ。どうやら日本人はクローズドな思考しかできないのだ。ガラパゴス化するのがその宿命なのだろう。

ついでに今回の楽天事件を通して再認識したことがあるので、そのことも書いておこうと思います。それはわが Project Gutenberg の偉大さです。2000年代に入って校正チームが結成され、PGに収録される本は質量共に飛躍的な向上をとげた。そして E-ink のデバイスが出回り始めた頃、出版社から出ている電子書籍はまだ数が限られていたけれど、しかしPGの本(ほかにもいろいろなところからパブリックドメインの本が出ている)が読めればそれでいいと、この新しいデバイスを買った人が多かったのです。PGが電子出版を推し進めた重要なインフラであったことは間違いのない事実です。

Project Gutenberg から三つのニュース

知っている人は知っているだろけれど Project Gutenberg が四万冊目の電子書籍を出しました。(こちら)厳密にはタイトルの重複やひっこめられた本もあるので、所蔵している本は四万冊弱というのが正しいのだけれど、しかしわれわれの努力が四万冊目という形をとったという意味で、まことにおめでたい。栄えある四万冊目は「Extinct Birds 絶滅した鳥」という美しいイラストの挿入された本で、それを見ながらわたしは extinct books というものも存在するだろうなと、妙なことを考えてしまった。

二つ目のニュースは、Project Gutenberg が自己出版のポータルを作ったこと。(こちら)登録すれば、誰でも無料で自分の作品をアップロードし、コメントやレビューやフィードバックが受けられる仕組みになっている。ただし内容に問題がある作品は受け入れられません。

三つ目は、実はニュースではないのだけれど、大切なことだからここに指摘しておきます。Gutenberg Canada のホームページには TPP 反対のメッセージが去年から掲げられています。TPP に加入すると確実に著作権の保護期間が七十年「以上」に伸びるからです。(ちなみにカナダの現在の保護期間は五十年。)

パブリック・ドメインというのは著作権がなくて、誰でも自由に使えて、すてきな空間だ、などと思っている人がいます。確かにそうではあるけれど、同時にその境界においては絶えず「戦争」が行なわれていることを忘れてはなりません。パブリック・ドメインを享受したいなら、戦争に参加することも要請されているのです。戦争に負ければ、享受できる領域はどんどん狭くなるのですから。

だから Gutenberg Canada のアピール文は「なぜ外国人が我が国の法律を作るのか」「ともにこの戦いに勝とう。自分たちのために、同胞市民のために、そして未来の世代のために」といった強い語調を用い、TPP 反対のメールを政府や議員に出そうと積極的な行動を呼びかけている。Gutenberg Canada の創始者 Dr. Akrigg が政府に提出したコメントも載せられています。カナダやニュージーランドではこうした草の根の反対運動が起きているのに、日本では何も起きていないようですね。恐らく唯々諾々とお上の決めることに従うだけなのでしょう。彼らにとってパブリック・ドメインは戦って守るべきものではなく、お上から与えられた「幼児の遊技場」みたいなものなのでしょう。

(わたしは最近、日本人のことを「彼ら」と言うようになり、それはおかしいのではないのかとアメリカの友人に指摘されたが、しかし昨今の日本人のへたれ具合を見ると、「彼ら」と言わざるをえない。)

楽天を応援する

楽天が日本で Kobo という読書用端末を出すことになりました。値段は八千円弱。これはソニーなどのバカ高い端末と比べれば半額以下になるのですが、実はアメリカでは100ドルで売られているから、まあ、ごく普通の値段です。ソニーの T-1 だってこちらでは130ドルで買える。refurbish した製品とか時々見掛ける安売りでは100ドルを切る値段で売られることもある。しかも Kobo は、実質もう一年近く前の製品ですから、安く売られて当然なのです。

しかも楽天は電子書籍の販売を海外の子会社にまかせているため、日本の税金を払う必要がない。円高もうまく利用すれば、格安の端末を販売することができる。

もしも日本の電子書籍市場をアマゾンに独占されたくないのなら、楽天はこれを機会に Kobo を猛烈に売り込むべきでしょう。それこそ、銀行やホテルとタイアップして、口座を開いたり、ホテルに三日泊ったりしたら Kobo を一台進呈するとか、いろいろなキャンペーンを考えるべきです。消費者としてもアマゾンが市場を独占しているような状況は好ましくありません。巨大な怪獣、ベヒーモスが動き出す前に楽天がスタートダッシュよくある程度の地歩を確立しておくことは大切です。

ところがこれに対して、日本の出版界から、楽天は税金逃れだ、などという非難の声が上がっているらしい。まったく莫迦につける薬はない。楽天は金を投資して Kobo を買取ったのであり、日本の税金を支払うことなく、海外から書籍を販売することはまったくの合法である。電子書籍が大きな市場になることを知りつつ、今まで何もしてこなかった出版社が、抜け駆けは許さないと楽天にいちゃもんをつけているだけ。日本で自炊が盛んなのは(実は海外でも Jisui という言葉が使われたりするほどなのだ)日本で電子書籍がさっぱり売られないことへの不満の表れなのです。日本の出版社はそんなことはわかっているけれど、電子書籍の取り組みに積極的じゃなかった。そしてアマゾンが来て自滅するのをじっと待っていたのです。(別に努力をしない企業なんて、滅びたってかまわないのだけれど。)

それに比べれば楽天のほうがはるかに会社として立派です。去年楽天が Kobo を買収したときはわたしもびっくりしたが、しかしこれはいい買物をしたな、と思いました。わたしは Kobo の販売部のプレゼンを何度か聞いたことがあるのですが、彼らは非常に進取の気に富み、意欲的な人々です。しかも分析力があって、電子書籍という新しい市場の特徴をきっちり把握している、あるいは把握しようと常に努力している。わたしの周囲の友人たちも(もちろんアメリカの話だ)、Kobo は資本金の潤沢な企業によって書籍事業が支えられるし、楽天は Kobo の書籍事業のノウハウを手に入れられるから、これは双方にとってよい買収ではないかと話していました。楽天には先見の明があったのですよ。

こういう努力もせず、計画性も持たない日本の出版社が「税金逃れだ」とはしゃらくさい。

ところが日本の政府は、楽天のように海外から書籍を販売しても税金が取れるように法律を改正することを考えているらしい。「まじめにやっている会社が損をしないようにする」というのが改正をもくろむ動機らしいが、企業努力をせず、消費者の期待に応えない企業を「まじめにやっている会社」などと呼ぶことじたいお嗤いです。しかも TPP がはたしてこんな法律を許容するかはなはだ疑問。
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Author:tkaoru
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